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世界に香る台湾茶─輝き取り戻す老舗 (TAIPEI Quarterly 2018 冬季号 Vol.14)

アンカーポイント

発表日:2018-12-11

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世界に香る台湾茶

輝き取り戻す老舗

 

陳宛妤

写真林煒凱
TAIPEI 冬季号 2018 Vol.14 世界に香る台湾茶─輝き取り戻す老舗

 

150年前の清朝末期、大稲埕の茶産業はまさに黄金期を迎えていました。「毎年3月初めから10月は春茶、夏茶、秋茶が売られ、製茶で最も忙しい時期だ。通りは茶と花の香りに満ちて、大稲埕を最も芳しい町にしている。茶葉の選別を行う女性たちがひっきりなしに行き来し」という『台北市路街史』の描写から、当時の茶葉生産が大変盛んであった様子が想像できます。

1866年、イギリス商人のジョン・ドッド(John Dodd)が中国・福建の安渓から茶の木を持ち込み、現在の契約栽培に似たやり方で農民に融資し、茶栽培と製茶を奨励しました。1869年、ドッドは「Formosa Oolong Tea(台湾烏龍茶)」と印刷された箱に茶葉を入れて、淡水港からニューヨークへ輸出します。これによって台湾にはこんなに美味しい茶があるのだということがようやく知られ、「台湾茶」の名が世界に広まるようになったのです。

TAIPEI 冬季号 2018 Vol.14 世界に香る台湾茶─輝き取り戻す老舗産業の変化に合わせて、有記名茶は製品の包装やデザインを進化させ続けています。
 

輸出がもたらした大稲埕の栄華

それからというもの、海外の貿易商が次々と台北へやって来て貿易商を設立、福建の茶商人までもが台湾で商売をするようになりました。全盛期に重慶北路、延平北路、迪化街、貴徳街一帯にあった製茶工場と貿易商の数は250軒を超え、大稲埕は一躍台湾で最も豊かな地区となったのです。

「時代の移り変わりを反映して、老舗の茶葉店はいくども変化してきました。新たなパッケージやガイドの導入によって、みなさんに茶を楽しんでほしいです」

 

1890年創業の「有記名茶」は大稲埕の栄華を見つめてきた店で、今も重慶北路にある古い建物で営業しています。五代目の王聖鈞さんは、父親からこんな話を聞いたことがあります。父親の曽祖父は、大稲埕の埠頭で自ら茶葉の船積みを指揮していました。ある年、年間50万斤(1斤は600グラム)の包種茶を出荷したことがあり、幼かった王さんの父親は曽祖父に「50万斤のお茶って一体どのくらい?」と聞きました。曽祖父は笑って「50万斤か、私たち台北人が1年飲むのに十分なくらいだな」と答えたのだそうです。この会話から、当時の輸出の盛況ぶりがうかがえます。
 

個性的な建築で過去を思う

「新芳春茶行」は大稲埕の黄金期を知るもうひとつの店です。1930年代には最大の規模を誇った茶葉店で、2016年に茶産業を紹介する施設として復活しました。新芳春茶行の歴史に大変詳しい解説員の陳得恩さんによれば、1913年に王一家の初代店主が大稲埕にやってきて評茶師として働きはじめ、資金がたまった6年後に独立して新芳春茶行を設立しました。当時、重慶北路から延平北路の間の民生西路にあった茶葉店の8割は新芳春茶行と同じ「三開間(中央、左右3つの棟がつらなる建物)」という造りで、160斤の茶葉をかついだ商人が毎日絶え間なく行き来していたそうです。

TAIPEI 冬季号 2018 Vol.14 世界に香る台湾茶─輝き取り戻す老舗
新芳春茶行は茶文化を紹介する展示スペースに生まれ変わりました。
 

新芳春茶行は80年以上の歴史を持つ3階建ての洋館で、店舗と住居を兼ねていました。幸いその姿は現代まで保存され、人々に大稲埕の茶商人の豊かな生活を伝える空間となっています。展示スペースの文化財からは、かつて台湾茶がアモイ、ロンドン、アムステルダム、カサブランカ、タイなどへ輸出されていたことが分かります。欧米には烏龍茶が、東南アジアには包種茶が輸出され、台湾茶はほぼ全世界へ広がっていたのです。
 

輸出減
国内販売で生き残り図る

第二次世界大戦が終わり、各国が戦争の打撃を受けたため、茶葉の輸出は減少しました。輸出に頼って富を築いていた茶葉店は環境の変化には抗えず、多くが廃業を選びます。大稲埕の茶産業に大きく貢献した陳天来が創立した「錦記茶行」も、1952年にその歴史を閉じました。

1970年代になると国内の産業構造が変化し、新台湾ドル切り上げが行われます。茶葉の生産と製造は労働力不足と賃金上昇を受けてコストが増加し、海外市場での競争力を失いました。そのため、大稲埕の茶葉店は次々とコストの安い国で茶葉を生産するようになり、最も繁盛した新芳春茶行も2004年に閉店することになります。

「新芳春茶行は展示によって茶文化を伝え、人々の心に永遠に留めます」

 

王さんによれば、有記名茶は国内販売と輸出の両方を行っていた時期もありましたが、店を訪れる客はほとんどいなかったそうです。それが、2003年頃になって段々と店先での商売が活気づいてきました。この頃、台湾の経済状況が豊かになって良質な茶を飲みたいという人が増え、さらに茶芸文化が普及して台湾の消費者は茶葉の品質を重視するようになります。このような国内市場の変化によって、昔ながらの茶葉店はかつてのような活況を取り戻すことになったのです。王さんの父は経営方針を変え、国内販売をメインに茶葉をブランド化することにしました。
 

新たな世代 生まれ変わる老舗

有記名茶は70年以上の歴史を持つ作業場を改造して、昔のままの製茶所を残しただけでなく茶産業について伝える小さな博物館として生まれ変わりました。専門ガイドによる茶の分類や製造工程、史料の紹介もあり、そのひとつひとつによって茶文化の精神を身近に感じることができます。

2012年に王さんが店を継いだ後、有記名茶にはさらに新たな活力とアイデアが加わりました。例えば、若い客層向けに個包装のティーバッグを販売したり、人気の茶葉にオリジナルの名前をつけたりするなどして、製茶工程と茶の風味、人生の経験を巧みに融合させ、茶葉を文化の香るクリエイティブな商品にしたのです。

現在、有記名茶のような歴史ある茶葉店は大稲埕に数えるほどしかありません。しかし、老舗はその歩みを歳月の流れによって止めることは決してなく、新しい優秀な世代によって淡水河のほとりの大稲埕から再び帆をあげて出発するのです。

 

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