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真っすぐなレールと紆曲を経た台北鉄道の歴史 (TAIPEI Quarterly 2021 冬季号 Vol.26)

アンカーポイント

発表日:2021-12-10

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TAIPEI #26 (2021 冬季号)


真っすぐなレールと
紆曲を経た台北鉄道の歴史


文: Jenna Lynn Cody
編集: 下山敬之
写真: Yenyi Lin


MRT北門駅の近辺には国立台湾博物館鉄道部パークがあります。ここはかつて台湾総督府鉄道局として利用されていた場所で、日本時代に建設された建物をリニューアルし、2020年にグランドオープンを果たしました。もともとは1920年代に台湾鉄道システムを管理するために設立された建物でしたが、16年に及ぶ修復期間を経て台湾鉄道の歴史を伝える場所として蘇りました。

主棟外觀-Edited (Copy)▲国立台湾博物館鉄道部パークでは台湾鉄道が栄えた1900年代の様子が再現されています。

台湾鉄道の歴史は清朝時代にまで遡ります。当時、巡撫という役職にあった劉銘伝が1887年に鉄道インフラを整備したことが始まりです。鉄道のレールは可能な限り真っすぐに敷設されるのが一般的ですが、台湾の鉄道システムの歴史は曲がりくねった道のように紆余曲折を経て現在に至りました。

ここでは鉄道の近代化の流れだけでなく、レトロで美しい建築物やそれらを修復する過程を知ることもできるので、鉄道の歴史が好きな人たち以外からも大きな注目を集めています。

台湾総督府鉄道局
首都に鉄道局を建てた理由は、日本時代の総督府が基隆から高雄までの幹線を建設する必要があると判断したためです。北門に立つこの建物は、1階部分と1階部分で構造が異なります。階の外壁にはレンガが用いられ、アールデコと呼ばれる装飾様式を用いたアーチ状をしています。対して2階部分は木造で、屋根や内部の構造にいたるまで阿里山産のヒノキをふんだんに使用しています。

この建物は日本統治時代から第二次世界大戦以降も使用されましたが、1989年に一度廃屋となりました。そこから2005年に再利用プロジェクトが開始し、2009年には国立台湾博物館との提携が実現。2014年から2016年にかけて修復作業が行われ、現在は1990年代の姿を取り戻しています。また、1991年にはエドワード‧ヤン監督の映画「輝かしき日々」、1998年には中国のポップシンガー李玟のヒット曲「DiDaDi」の撮影地としても使用されました。

主棟大廳(電影mv景) (Copy)▲豪華なエントランス部分は、これまで数々の映画やMVの撮影に使われてきました。

この建物には管理部署の他に、ボザール様式を取り入れた美しい会議室もあります。印象深い楕円形の天井から「オーバル‧ホール」と呼ばれるこの会議室は、豪華な柱頭の装飾にパイナップルなどのトロピカルフルーツが掘り込まれている他、敢えて塗装を行わず、まだら状の表面を残すことで経年変化を鑑賞できるようになっています。

辦公室Oval Hall(建築特色)2 (Copy)▲天井には楕円形の漆喰装飾が残されていて、当時の職人の技術力の高さが伺えます。

この建物とその他の付随する建物は、台湾鉄道の長年の歴史を現代に語り継ぐ重要なスポットとなっています。

鉄道文化常設展
台湾の鉄道開発には紆余曲折の歴史がありますが、鉄道文化常設展では近代化に至るまでの流れを4つのセクションに分けて紹介しています。

常設展The Railway Culture Exhibition 4 (Copy)▲切符売り場や改札など館内の至るところでかつての駅舎内の様子が再現されています。

「私たちの鉄道」というコーナーでは台湾鉄道の変遷が見られます。劉銘伝が掲げた基隆—新竹間をつなぐというビジョンは、1880年に台湾北部で実現されました。しかし、これらの線路はレール規格や設計‧施行水準が基準を満たしていなかったことから、すぐに廃線となりました。この古い線路は現在、市民大通という通り沿いに残されています。1895年以降の日本時代も鉄道の貨物輸送の需要が拡大していたことから、台湾総督府は技術者であった長谷川謹介氏を招き、鉄道敷設部技師長に任命しました。

常設展The Railway Culture Exhibition 21 (Copy)▲鉄道の模型からは、かつて列車がどのように扇形の車庫に入っていたのかを知ることができます。

台湾縦貫線が完成した1908年、総督府はこれらの線路を現在の忠孝西路と中華路へと移設します。当時はまだ台湾の南北を一日で移動することは不可能で、これが実現したのは1956年です。飛快車という特急列車が5.5時間での移動を実現しました。市民から愛された温かいお弁当と可愛らしい客室乗務員の姿は現在でも懐かしい記憶として多くの人の記憶に残っています。台湾鉄道の旅はその後、より高速で移動できる新幹線の登場によって大きな発展を遂げました。

「列車の歴史」、「鉄道情報の解読」のコーナーでは列車の発展と、それを支えるシステムの複雑さに焦点を当てた展示をしています。古い切符や回転式改札口、過去の時刻表などヴィンテージ品の展示もありますし、かつて使用されていた列車の座席に腰を掛けて歴史に浸ることもできます。

常設展The Railway Culture Exhibition 12 (Copy)▲かつての車両内の様子が再現された廊下を歩くと当時にタイムスリップをしたかのような感覚が味わえます。

「現代的な時空秩序」のコーナーでは、列車と人々の生活がどのようにして繋がってきたのかを時間と空間を使って紹介しています。例えば、空間に関しては線路や駅の場所がどう変遷していったかなどです。鉄道の変遷は新しくできた淡水線を含む台北の都市開発にも大きな影響を与えています。また、過去に鉄道の時刻表ができたことで、台湾人に時間という概念を植えつけるキッカケもできました。ここでは、そうした変化に触れてみましょう。

食堂
かつて社員食堂だった場所はギフトショップや教室、展示室となっています。この食堂は現在、メインの建物内にありますが、1933年の完成当初は別の場所にありました。当時は外壁にイギリス式とドイツ式の下見板が張られていましたが、現在はそれらが内壁として再利用されているので、食事を楽しみながらそうした時間の移り変わりを見ることもできます。

食堂 Canteen (Copy)▲洋式の木造建築だった食堂は天井から窓に至るまで見事に復元されています。

そんな食堂ですが、完璧に修復をするのではなく、保存を重視することを選びました。そのため、2階へ上る階段の近くにあった暗色の木製装飾が当時のまま残っています。

電気室と工務室
電気室は1925年頃に建てられ、鉄道局の電報や電話、電子計器への電源供給を行っていました。ここは発電設備があり、放熱が必要であったことから屋根部分に開閉可能な通気孔が付いています。1970年代には一時的にオフィスとして活用されましたが、現在はカフェとして機能しています。

工務室與電源室 Power Building and Engineering Building (兒童展間)4-Edited (Copy)▲工務室には児童が楽しみながら鉄道に関する知識を深められる展示スペースがあります。

1934年に建設された工務室は公共工事部が使用し、第二次世界大戦後は政府の管理下で輸送部となりました。ここではアンティーク品が展示されているだけでなく、変化する時代の中で行われた取捨選択の詳細を知ることができます。。

残されたものの中には屋根のタイルがあります。これらはすべてのタイルが再利用できる状態ではなかったため、一部新しいタイルを加えて修復されました。古いタイルは色味が暗いので、晴れた日には新しいタイルと古いタイルの差がハッキリと分かります。また、古い梁と新しい梁を繋ぎ合わせている点も大きな特徴です。これには台湾産やベトナム産のヒノキで作られた梁にナンバリングを施し、詳細を記録するという複雑な手順が必要でしたが、結果的に完成度は高くなったと言えます。

台北機械局
MRT北門駅の2番出口の近くには覗き窓のついたレンガ製の石垣があります。これは1885年に劉銘伝が創設した台北機械局の跡地です。機械局は当時、清王朝政府や台湾では不可能であった弾薬製造と火器の修復を目的として設立されました。この場所は台湾の近代化と産業化がスタートしたシンボルともいえます。

工務室與電源室 Power Building and Engineering Building-Edited (Copy)▲園内では過去に実際に使用されていた機器も展示されています。

修復作業を進める中で、機械局のそばに玉石がと石が敷き詰められた石畳の道が発見されました。当時の台湾には舗装されている道路はほとんどなかったため、この道は台北で初めて建設された駅舎へつながっていたと考えられています。

戦時作戦指揮センター
鉄道部パークには面白い形をした建物が二つあります。一つは防空壕の役目も担っていた戦時作戦指揮センター、そしてもう一つは八角楼です。1943年に建設された司令部当初、釣り鐘型をしていましたが、年後にコンクリートの外壁が加えられたことで円錐形となりました。これは近代国家において欠かすことができない鉄道というインフラ設備を守るために、防空壕のような機能を備える要がありました。また、指令室内の壁には台湾の地図が掛けられ、有事の際には高官たちが島内の状況を逐一把握できたそうです。

舊廁浴Octagon 1-Edited (Copy)▲八角形をした特殊な建物は、当時園内で「最も豪華なトイレ」と呼ばれていました。

司令室の近くにはレンガとコンクリートで造られた八角形の建物があります。傘のような中央の柱とそこから広がる梁が屋根を支える構造になっていて、高い通気性が確保されているのが特徴です。この建物はかつての男子トイレで、中央の柱から8つの小便器に仕切られ、壁沿いには個室が並んでいます。建物の外壁には丸いくぼみが残っていますが、これはかつて洗面台が取り付けられていた場所です。現在は園内の各建物を解説する場所として使用されています。

国立台湾博物館鉄道部パークでは台湾鉄道の歴史を時間と空間の両方から振り返ることができます。かつては北部から南部まで丸一日かかっていたのが、約5時間に短縮され、現在では2時間以内に到着できるまでに発展しています。台湾鉄道は台北市内だけでなく台湾全域のコミュニティを繋ぎ、距離や時間の概念を変え続けてきました。園内には色の違いを残した壁や特徴的な建築様式、かつての鉄道設備などを残すことで、訪れる人をタイムトラベルへと誘います。台北を起点とした電車の旅は一直線に感じるかもしれませんが、そこに秘められた歴史は紆余曲折を経て現在へと繋がっているのです。

国立台湾博物館鉄道部パーク
住所           大同区延平北路一段2号
開館時間    9:30〜17:00(月曜定休)
サイト        国立台湾博物館鉄道部パーク


 

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