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TAIPEI 2016夏季号 Vol.04—マーク・ルイスさんと第二の故郷 あるアメリカ人外交官の台北ストーリー

アンカーポイント

発表日:2016-07-12

更新日:2016-09-23

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文 _ Rick Charette
写真 _ Mark Lewis

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1. 現在、米国在台湾協会の通商副長官を務めるルイスさんが最初に中国語の研究のために台湾へ来たのは1983 年でした。

米国ワシントンD.C. 出身のマーク・アシュレー・ルイス(MarkAshley Lewis)さんは30 年以上、台北という町の根っこからの変化を目撃してきました。彼はある役割―より正確には数多くの異なる役割ですが―をその変化の中で担ってきました。ルイスさんがみなさんへ、かつて彼が知っていた、そして今彼が知っているこの首都―台北の物語を語ってくれます。

1980 年代初期に台湾へやってきた時、ルイスさんははつらつとした20 代前半の若者でした。彼はニューヨークのコロンビア大学を休学して、中国語の研究に打ち込むために台湾師範大学の国語教学センターへやってきたのです。現在、ルイスさんは米国在台湾協会(AIT)の通商副長官を務めています。ルイスさんの目と言葉の中で、どんな物語が展開していくのか見ていきましょう。

文化の魅力
ルイスさんはワシントンD.C. 出身、ニューヨークのコロンビア大で東アジアの言語と文化およびエンジニアリングを学び、学位を取得しました。ルイスさんをアジア、中華文化、そして台湾へと向かわせたものは何だったのでしょうか。「幼い頃、私の母はよく兄と私を芝居やショーに連れて行ってくれました。私たちはいつもその前か後にワシントンの小さなチャイナタウンで食事をしたものです。多くのアメリカ人にとってそうであるように、それが私にとって初めて接した“ 中国のもの” でした。それから高校に入ってできた親友のひとりが中国人でした」とルイスさんは語ります。

「その後進学したコロンビア大学は中国人と台湾人が多く、とりわけ私の学んだエンジニアリングのプログラムではそうでした。“ 中国のもの” に、より接しやすくなったわけです。1980 年代前半は日本と東アジアの成長に対する関心が高まった時代でした。私の先生が中国語と中華文化の研究をしてすばらしい時間を過ごしているのを見て、おもしろそうだと思いました。そこで1 年休学することを決心して飛行機に飛び乗り、集中的に研究するために台北へやってきたのです。」

台湾へやってきたルイスさんは、ここが自分にぴったりだと感じました。そしてコロンビア大学の東アジア言語・文化プログラムを卒業するとすぐに台湾へ戻ってきました。ここにはチャンスがあると感じたそうです。まず最初に有名な米国系の広告会社で企業向けビジネスに約7 年間携わりました。「米国と台湾の文化の懸け橋として双方に関係し、尽くしていると感じました」中国語を使って仕事をし、「自分の才能と努力を十分に生かしている」ことも幸せでした。今も文化の懸け橋としての役割は彼の職業人生における核心として残り続けています。

温かく友好的な人々
ルイスさんはいつも、台北と台湾の人々は偏見がなく広い心を持っていると思っているそうです。「かつての台北は現在の台北とは全く異なりますが、私は居心地がいいといつも感じてきました。そう、あの頃は戒厳令が敷かれていたのですよ」当時、人々は旅行の経験はあまりなく、現在のように世界中を旅するようなことはありませんでした。「台湾にいる黒人の数は片手で数えられました」と彼は言います。「人々はまるで何か新しいものを発見したように私を指差したものです」アラブ人だと思われることもしばしばあったほど、台湾を訪れる黒人はとても少なかったのです。

ルイスさんは当初、少し居心地が悪いと感じましたが、だんだんと慣れていったそうです。なぜなら悪意よりもむしろ友好的な好奇心を持った人が多かったからです。「今も変わりませんが、人々はとても友好的でおしゃべりと分かち合うことが好きです。必要な時にはいつもすぐに助けてくれたし、台湾の文化について知りたいと言うと喜びました。妻のクリスタルとは1986 年、台湾に戻ってきてから出会いました。台湾で生まれ育った妻はとても自由な考え方を持った女性で、私が外国人で黒人であることが問題になったことは一度もありません。妻の両親と兄弟姉妹も私たちを応援してくれました。とくにニューヨークに住んだことのある彼女の兄は、シンプルに“ マークはいいやつだ。コロンビア大学へ行っていたのならもっといい”と言いました。親戚たちも私を受け入れてくれて、最初の日から自分は家族の一部だと感じました。義理の父は素晴らしい男性で、私を息子のように扱ってくれます。義理の母は二言、“ 夫婦としてのあなたたちの幸せがすべてなのよ” それから“ マークは肌の色がちょっと黒いけど、いい人ね! ”と言いました。」

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2. 熱心なランナーはほぼ毎週末、山へ向かいます。

台北という街―過去と現在
「以前の台湾は、まだ発展の途上で今のような自由はありませんでしたが、私にとってはすばらしい場所でした。人々は友好的でした。かつては今のような快適さを享受することはできませんでした。台北にきちんとしたMRTや清潔なトイレなどがなかったことを思い出すのは難しくなりましたね。昔はどこもかしこもバスの渋滞で、アメリカの基準で見ると快適な生活とはかけはなれていました」

「アメリカ人として思うのですが、あの当時も今も、台湾のみなさんは米国文化をとても歓迎してくれます。その後、さまざまなものが著しく成長しました。台湾は米国にとって9 番目の貿易相手であり、多くの点で重要なパートナーです。私もまた個人的に成長してきました。ここで2 人の息子を育て、家族を養っています」台北は彼が選んだ家であり、彼の家族は間違いなくここを心地よく感じています。「これまで職業を2、3 度変えました。広告業からジャーナリズムへ転向し、UPI 通信社の台湾オフィスで働きました。台北の暮らしやすさは、さまざまな方法でより快適な水準へと向上しています。台北は私がこれまで旅行したり住んだりしたどの場所より、またアメリカの多くの場所よりも暮らしやすい街です」

この街の気ぜわしい商業活動は魅力的な便利さを実現しています。「必要なものはすべて、通常数ブロック歩くだけで手に入ります。遠くても1 マイル以上はかかりません。これは他のどこでも、少なくとも私が住んだことがあるどんな場所でも難しい。おそらくニューヨーク以外ではね。台北は便利で清潔で安全です。このような場所は米国にも、他のどこにもないと思います。夜、公園を歩いていてもまったく安全なのですから」

ルイスさんが車を運転することはまれです。「MRT や公共交通機関があるので必要ありません。タクシーも至るところで見かけます。私はほぼ毎週末、車を運転して山へ行きます。台北、そして台湾全土は緑の山々に囲まれていて、町を抜け出して自然に触れるすばらしい機会を与えてくれます」いつも新しい山の小道やランニングコースがあり、ルイスさんは地元住民と海外からの駐在者が参加しているランニングクラブ、ハッシュ ハウスハリアーズのメンバーたちと一緒に走っているそうです。ハッシュハウスハリアーズは台湾各地に支部を置き、この地で長い歴史があります。

彼の家族はルイスさんが他に配属されていた2003 年から2014年の間、台湾を離れていました。その後家族と台北へ戻って来た時、彼はこの町が根本的に変わりつつあることに気づきました。「山道でのランニングやハイキングはすばらしいエクササイズですが、それ以上に台北では多くのことが起こっています。かつて人々はハイキングや、自転車に乗ったり登山したりすることについて話すことすらしませんでした。現在ここでは暮らし方、働き方、娯楽に対する人々の態度に劇的な変化が起こっています」

かつて、ほとんどの人たちが余暇の時間のほとんどを室内で過ごしていました。一般的な家庭の娯楽は、どの家でもビデオを借りてきて一緒に見ることでした。しかし現在では多彩なアウトドアをレジャーとして楽しむことができます。「昔とは完全に変わりました。以前は、例えば30 代の男性の話題といえばもっぱら仕事のことでした。今ではすべての年代の人々がハイキングや自転車、さらにはパラグライディングやスキューバダイビングなどクールなレジャーを楽しんでいます。私は“ わあ、ここはなんてすてきな場所なんだろう” と思いますよ。私も20 代、30 代の頃に戻って自転車、ハイキング、水泳、ロッククライミング、沢登り、なんでもやっています」

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3. ルイスさんの家族。奥さんのクリスタルさんとは1986 年後半に出会い、翌年すぐ結婚しました。

花園の町、台北
ルイスさんは台北が田園都市づくりを進めていることに賛成です。「賛成していますよ」彼はこうはっきり言います。「なぜならとくに私がランニングやハイキングをするからです。ここは完璧な場所です。MRTですぐに公園や登山を始められる場所へ行くことができます」台北で好きな場所はあるかと聞かれて短い時間考えた後、ルイスさんは特別に好きなコースはないと答えました。彼はいつも家の近くにある北投の軍艦岩の周りを走るそうです。気に入っている理由は「勾配が緩やかで障害物がないから」というシンプルなもの。そして台北にはこのような場所がたくさんあるそうです。

「おかしなことに」と彼は続けます。「ここで長い間過ごしているのに、すぐそこにある陽明山を今も楽しんでいるんです」陽明山国家公園は多くが街に向かってふもとが傾斜しておりいて、高いところは台北北部に広がっています。ルイスさんはとくに陽明山の小油坑が好きなのだそうです。噴気孔があることで有名な場所で、堆積した硫黄の結晶や温泉があり、後火山作用によって地滑りした地形をしています。「屋外の天然温泉はとても気持ちがいいです。とくに冬ですね。大自然と天然温泉、余計なものは何もありません」
以前、ルイスさんはよく木柵の猫空へよく行ったそうです。猫空は茶農家と素朴な茶屋があり、茶畑が山の斜面に広がって遠くには都会の町並みを望む風景にひたれる場所です。最近ではあまり時間がなくて訪れていないと言いますん。「猫空へ行ってお茶やコーヒーを楽しみ、リラックスするのはすばらしい。時間が止まり、安らぎを感じます」

最後にルイスさんは、田園都市という話題について異なる角度からの観点を語り、台北の食べ物がいかにすばらしく、その日手に入ったばかりの新鮮な材料がどれだけ多く使われているかについて話してくれました。「中国に住んだ後、特に私はこの町の食べ物の新鮮さ、安全性、信頼度、そして作り方を高く評価しています。台北と台湾の人々は、他の場所にあるどのレストランよりもこういったことに時間をかけ、注意を払っています」

「ここでとても快適な人生を送っています」。
 

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