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TAIPEI 2016春季号 Vol.03—台北MRTにしかない 独特の美しさ

アンカーポイント

発表日:2016-06-15

更新日:2016-09-23

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文 _ 楊子葆
写真 _ 許斌

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▲木柵線は台北MRT で最初に開通した路線です。(写真/潘俊霖)
楊子葆
フランス国立土木学校交通工学博士。パリ交通公団の研究開発エンジニア、鼎漢国際工程顧問公司(THI consultants inc.)チーフエンジニアを経て台北捷運公司顧問、台北捷運一次検査委員を歴任。現チャイナエアライン副総経理。
今年3月、台北MRT は20 歳の誕生日を迎えます。世界の地下鉄の中では若手です。世界で初めて地下鉄が走った都市は英国ロンドンで、1863 年に「ロンドン地下鉄(Metropolitan UndergroundRailway)」が開通しました。1868 年には北米で「ニューヨーク市地下鉄(New York City Subway)」、1913年に南米で「ブエノスアイレス地下鉄(Subterraneo de Buenos Aires)」、1927 年にはアジア初となる「東京地下鉄」、さらに1987 年に北アフリカで「カイロ地下鉄(Metro Anfaqal-Qahirah)」が開通しました。私たちのMRT は世界で124 番目に開通した地下鉄です。世界の重要都市を見渡してみても、これ以上ないほど若いといえるでしょう。

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▲20 歳の台北MRT は若いけれど、唯一無二の特色と深みがあります。(写真/四點設計)
若く特色ある 台北MRT
台北MRT が若いことは事実です。しかし探そうと思えば、特色も深みもあり、人を感動させる唯一無二のパワーを持っていることが分かります。
欧米での地下鉄利用状況と比べると、台北MRT は人々の熱気と活力が常にみなぎる数少ない公共交通システムです。もちろんラッシュアワーとオフピークの差はありますが、他の「先進」都市ほどその違いは大きくありません。これにはいくつかの理由があります。まず、台北の区画は日本統治時代におおまかに決められました。欧米の都市計画を参考にしたものの、日本人は商業区域と居住区域の混在をある程度許容して「区画」の境界線を厳しく定めず、時には黙認すらしました。次に、台湾の都市管理に存在し続ける「就地合法(すでに存在する違法な建築などを合法とする)」という慣習です。夜市やディスコなど長年かけて出来上がった違法ラインをやや越えた都市活動の場は、かつて台北が批判され続けてきた都市発展における「問題」でした。しかし21 世紀になって、新たな時代の新たな見方が私たちを目覚めさせ、「雑食」と「混血」は都市にとって健全なものであるという認識に至っています。朝から晩までそれぞれ異なる活動に携わる人々が生きる都市で、朝から晩までさまざまな目的のために積極的に利用されるMRTは、面積当たりの効率はよく、コストも低く、さらにはつらつとした活気にあふれています。

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▲台北MRT 沿線の人や文化、美しい景色をぜひ訪ねてみてください。写真は大安森林公園。
沿線の美 緑と水の風景
はつらつとした活気は、地理的な条件からも生まれています。台北はほどよい面積であることに加え、山や海、川に恵まれています。MRT が開通してからというもの、喧騒を離れて大自然に親しみたければ、川岸や海辺、山まで遠くても45 分足らずで行くことができます。毎日通勤時に車の渋滞に巻き込まれている先進都市の市民たちはきっと思いもよらないでしょう。台北市民は仕事を終えてMRT に飛び乗れば、たった45 分で山の頂上で風に吹かれながら私たちの都市を一望し、詩人・鄭愁予の詩を朗読することまでできるのです。

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▲台北MRT 周辺の文化と景色は探索する価値があります。(写真/四點設計)

5_捷運的車窗外,有著無可取代的獨特風景。(許斌攝).jpg
▲台北MRT の車窓からは、他にはない独特の風景が広がっています。

台北の町は彼女の湯船で入浴してまだ温かい
(これは世界で最も大きい放浪者の湯船だ)
ネオンが湯上がりのけだるさのように夜空に浮かび
北斗七星がこの夜の左襟を順番に留めてゆく
ああ、この時、カラスの群れが彼方を眺める人の視線を乱す
このくにが揺らめき乱れるマントの山水画となったように

鄭愁予の詩
実際に台北MRT の車窓から外を眺めてみると、他にはない独特の風景が広がっています。私が個人的に好きなのは淡水線(赤のライン)です。台北駅を出発して北へ向かって走り、地下区間にある四つの駅を通過して、民権東路を越えるとあっという間に地上の高架区間へあがります。圓山、剣潭、芝山、北投、関渡の風景を楽しみ、マングローブの林が見えてくると淡水河の河口が近づいて来ています。そしてだんだんと高架から地面のほうへ降りていき、終点の淡水へ到着するのです。この路線は高低、光、視界、風景、気持ちなど変化がとてもドラマチックで、まさに変化し続ける都市の人生のようです。
台北MRT をめぐる
人と文化と歴史
台北MRT が私たちの生活にもたらしたものには山や川、海だけでなく、文化と歴史があります。日本の画家・郷原古統(1887 年~1965 年)は1920 年から1925 年にかけ、繊細な膠彩画で台北の重要な風土や名勝を描き、新店渓の碧潭、淡水河、観音山、明治橋、植物園、新公園(二二八和平紀念公園)、水源地、龍山寺、総督府などの姿が『台北名所図絵十二景』に納められています。現在、私たちが思いを馳せられるのはかつての風景に加え、MRT に乗ることで、北投温泉、台北市立動物園、台湾大学キャンパス、大安森林公園、中正紀念堂、大稲埕、小碧潭、大湖公園といった新しい観光名所も加わっています。そのため台北MRT は平日も週末も同じように賑わっています。雰囲気こそ違うかもしれませんが、平日は混みあい、週末は閑散とするような多くの都市の地下鉄でみられる落差はないのです。

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▲台北MRT は平日も週末もにぎやか。他の都市では見られない特色です。
さらに詳しく知りたければ、忠孝西路の地下街にぜひ足を留めて観賞していただきたいパブリックアートがあります。1993 年末、南港線(青のライン)工事の際に清朝光緒10 年(1884 年)に完成した台北城(台北の城郭)の遺跡が発見されました。元の場所に保存できなかったため、展示スペースを設けて「府城春秋、城楼探源、再現風華、城牆乾坤(台北城の歴史、城楼の探索、よみがえる輝き、城壁の構造)」という四つのテーマで台北城のかつての城郭などの文化財を陳列しました。またアーティストによる城郭を材料として用いた「麗正崇熙‧承恩景福(麗正門、崇熙門、承恩門、景福門は台北城の南門、小南門、北門、東門の別称)」というパブリックアートがあります。ここは本物に触れいしにえを懐かしみ、想像力を羽ばたかせる場所となっています。
台北MRT はあちこちに歴史、思い出、じっくり味わうことのできる物語があります。例えば淡水線の「唭哩岸」駅ですが、この駅名は台湾先住民バサイ族の言語による旧地名「ki-zing-an」に近い音の漢字をあてたものです。この地名はオランダ統治時代に採用されましたが、国民党政府が台湾に移ってから、現在の「立農」と「吉利」に改められました。そして「唭哩岸」の名は駅名として蘇り、そっと名誉を回復したのです。

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▲台北MRT はあちこちに歴史と物語があります。唭哩岸駅はそのひとつです。
これと対照的なのが新荘線(オレンジのライン)の「先嗇宮」駅です。この駅の近くには清の乾隆帝の時代に建てられた神農大帝(医学と農業の神)をまつる古い寺があります。もともと「五谷王廟」(「谷」と「穀」は中国語で発音が同じで、神農大帝が多くの植物をなめて五穀を発見したことから)という名前でした。日本統治時代に文学的な「先嗇宮」と改められましたが、地元の人たちは「五谷王廟」と呼び続けました。バス停名だけでなく、「五谷王」は今もここの地名です。MRT の駅名は、地元の名士や老人のアドバイスを尊重したそうです。ここにも熟考に値する深い意味があります。

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▲「麗正崇熙‧ 承恩景福」がテーマのパブリックアートはぜひ観賞を。
この他にも江子翠、六張犁、葫洲、蘆洲などがあります。これは台北MRT の特色であり、台北の歴史、台湾の歴史でもあります。
今年3 月、20 歳の誕生日を迎える台北MRT は相当の若手ながら、世界最初の地下鉄には及びませんが豊かな歴史があり、文化と地理が作り出した多くの「ここだけのもの」があります。これこそが私たちが大切にしていく価値のある独特の美なのです。

 

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