TOP メインコンテンツセクションに行く

台北観光サイト

TAIPEI 2016夏季号 Vol.04—台湾テニス界の新星楊宗樺 台北ユニバの金メダルを誓う

アンカーポイント

発表日:2016-07-12

更新日:2016-09-23

1768

文 _ 謝瑩潔
写真 _ 楊宗樺選手
9 歳でテニスを始めた楊宗樺選手は早くからその非凡な才能を開花させ、10 歳で早くも全国優勝、14 歳から海外の大会に出場するようになりました。そして17 歳となった2008 年には世界4大大会ジュニア部門のうち、全豪オープン(ダブルス)、全仏オープン(シングルス)、ウィンブルドン選手権(ダブルス)の3大会で優勝を果たし、同年末、国際テニス連盟(ITF)のジュニア部門・ワールドチャンピオンに選出されました。
翌2009 年にプロ転向を果たした楊選手の現在の世界ランクは男子シングルスが210 位(最高164 位)、男子ダブルスが230 位(最高144 位)となっています。なお2015 年に韓国で開催された光州ユニバーシアードでは男子団体で銀メダル、男子シングルスで銅メダルを獲得。2017 年の台北ユニバにも再び台湾代表として出場する予定で、「台北に金メダルを残したい」と意気込みを示しています。

3.3.1.jpg
3.3.2_楊宗樺在今年的澳網會內賽因為小指肌腱斷裂,把兩根手指用白膠帶捆在一起進行訓練與比賽,意志力驚人。.jpg

1-2. 楊宗樺選手は今年の全豪オープンで本戦出場を果たしました。小指の腱を断裂しながらテープで固定して試合に臨んだ彼の強い精神力は周囲を驚かせました。

海外での転戦が心を鍛える
楊選手は「小胖(ぽっちゃり君)」の愛称で知られますが、身長178 センチメートル、体重80 キログラムと実際はまったく太っておらず、しかも感じのいい二枚目です。彼によると、幼い頃は少しぽっちゃりしていたことから友達に「小胖」と呼ばれていて、ダイエットにと家族がお兄さんと一緒に夏休みのテニス合宿に参加させたそうです。お兄さんはその後、ラケットを握らなくなりましたが、楊選手はこれでテニスの面白さを知り、現在まで続けることとなりました。
楊選手は自らの夢を実現すべく、14 歳の時からコーチとともに、または一人きりでラケットバッグを背負い、世界を転戦するようになりました。同世代の若者に比べて早い時期に広い世界を知り、心身ともに厳しい試練に直面してきた彼は「早くして社会に出たことで精神的に大人になれ、環境への適応力も身についた」と語っています。
初めてフランス遠征に出かけた際、楊選手は「あっちに行けば家族は誰もいないし、どうすればいいのだろう」と不安になり、飛行機の中で泣いてしまったといいます。まだ年若く英語もうまく話せないため、外国人のコーチが迎えに来てくれたとはいえ心理的なプレッシャーはかなり大きかったようで、その時に「英語をちゃんと勉強しよう。ずっとジェスチャーに頼るわけにはいかない」と決意したそうです。
1 年のうちほぼ11 カ月を試合のため海外で過ごす楊選手は、台湾の自宅に戻っても、休む間もなくまたすぐに海を渡るといった生活を続けています。そんな彼にとってこれまでで最も印象に残っているのは、試合のために訪れたブラジルでの出来事でした。深夜、宿泊先のホテルで寝ていると、大きな爆発音が響きわたったのです。その時のことを彼は「突然、ボンッという音がして目が覚め、テロが起きたと思ってあわててパスポートを手に部屋の外へ飛び出しました。階下に降りると誰もが着の身着のままでの姿で、騒然とした雰囲気に包まれていました。後で知ったのですがガス爆発が起きたということで、危険はなかったものの、とても驚きました」と振り返ります。
また海外で戦う上で「歯」の問題も楊選手を苦しめてきました。これまで彼はタイで親知らずを抜き、ベトナムで歯の神経を抜くという経験をしていますが、いずれも痛みに耐えられなくなり、現地で治療を受ける事態になったそうです。タイでは良い病院が見つかったものの、治療後に請求書を見て飛び上がりました。親知らず1本を抜くのに1万台湾ドル以上もの費用がかかったのです。ベトナムでは病院の設備があまり整っていませんでしたが、幸い腕の良い歯科医が見つかり緊急措置が受けられ、無事、試合に出場することができました。海外ではあらゆるトラブルを自分の力で解決しなければならないため、楊選手はここでも「英語によるコミュニケーション力は絶対に必要」と強調します。

全豪オープン初出場を果たす
楊宗樺選手は今年の全豪オープン出場を賭けて行われたアジア・パシフィック・ワイルドカード・プレーオフで謝政鵬選手と組んでのダブルスで優勝。見事、本戦出場を果たしました。ジュニア時代にチャンピオンとなった場所に再び足を踏み入れた楊選手は「全豪のコートに立った時、8 年前の栄光を思い出し、やってやるぞと気合が入りました」と語っており、感慨深いものがあったようです。
国際大会において選手はプレッシャーに打ち勝つ力が試されます。楊選手によると、どんな選手でも緊張するそうですが、いったんコートに立てば「次はどんな球を打つべきか、どんな攻め方をすべきか」と、自分のプレーに集中しなければなりません。「決して試合中に自分が緊張していることに気を取られてはいけません。自分より相手の方がもっと緊張しているかもしれないですしね。」
プロとしてのキャリアで初めて出場した全豪オープン本戦で思うような成績を残せなかった楊選手は試合後、「打ち急ぎすぎて相手に比べプレーに安定性を欠いた」と反省の弁を述べました。しかし実はその試合、彼は手の小指の腱を断裂する故障を負いながら無理を押して出場しており、「あの時は小指に力が入らなかったので薬指と一緒にテープで巻いて固定しました。パートナーに申し訳なくて、何とか最後までプレーしようと必死でした」と振り返ります。その後、台湾へ戻った彼は台湾大学医学部付属病院で手術を受け、目下、順調に回復しており、しばらく休養すれば試合に復帰できる見通しです。
全豪オープンでは早々に敗退してしまいましたが、気配りの人、楊選手はタオルや記念キーホルダーを持ち帰り、フェイスブックを通じて抽選でファンにプレゼントし、ビッグイベントに参加できた喜びを分かち合いました。このことについて楊選手は「ネットユーザーはいつも、熱いコメントで僕を支持してくれる。それが励みになっているんです」と語ります。

3.3.3_「小胖」楊宗樺(右)與「A鵬」謝政鵬(左)默契絕佳,「胖鵬配」將一同在2017臺北世大運並肩作戰。.jpg
3. 「 小胖」こと楊宗樺選手(右)と「A 鵬」こと謝政鵬選手(左)は息がピッタリ。「胖鵬ペア」は2017 年の台北ユニバでも肩を並べて試合に臨みます。

台北ユニバに向けて万全の準備を
「小胖」楊宗樺選手と「A 鵬」のニックネームで親しまれる謝政鵬選手の「胖鵬ペア」は結成から既に長い期間が経っており、2017年の台北ユニバーシアードでも肩を並べて試合に臨む予定です。二人の関係について楊選手は「僕達に共通する長所は試合に負けても相手のせいにしないということ」と分析しています。
その上で「コンビを解消するダブルスペアは多いですが、それは試合に負けたことをパートナーのせいにすることで互いの心が離れたのだと思います。でも、どんな人間でも日によって調子が変わります。僕たちは互いを思いやる気持ちを持っているので長い間、気持よくペアを続けられているんです」と強調します。
楊選手は毎朝7 時に起床して体力トレーニングを行います。「トレーニングコーチが付いているので怠ける隙はありません」とこぼしますが、「コーチに要求されることは全力でこなします。そうすることで最高のコンディションが保てるのです」とその意義も十分に認識しています。また楊選手は明るく、図太い神経の持ち主ですが、長年のキャリアを通じて試合結果に対する気持ちの整理がうまくつけられるようになったのだといいます。思うようなプレーができなければ当然、くやしい気持ちになるものですが、2 ~ 3 時間もすれば完全に平静を取り戻せるそうです。
「一年中、試合をするのですから、いつも勝てるわけではありません。負けた時にはなぜ負けたのかを考え、改善に努めます」̶そう語る楊選手はテニスの最大の魅力を、丸いボールのように勝敗がどちらに転ぶか分からないところにあると考えます。「世界ランク50 位に入る選手が200 ~ 300位の選手に負けることもあります。だからどんな相手に当たった場合も決して気を抜くことなく試合に臨まなければなりません」と気を引き締めるのです。
2017 年のユニバーシアードに向け、楊選手は過密スケジュールの中、実戦をトレーニングに代えることが最良の準備になると認識しており、「試合の中でトレーニングの目標を達成したいと考えるため、A 鵬と一緒に自分たちの課題が克服できるような大会に数多く出場しています」と語ります。5 月以降も、国内で開催される「華国三太子杯国際男子テニスチャレンジャー大会(ATP チャレンジャーツアー)」、ウズベキスタンのカルシで開催される「ウズベキスタン・F1・フューチャーズ」、フランス・ニースで開催されるニース・オープン(ATP ワールドツアー)と、連戦が待ち受けています。
「テニスは人生で最も大切なもので、一生の付き合いになる」―そう語る楊選手の生活はこの競技を中心に回っており、喜び、悲しみ、成功、そして挫折。すべてにテニスが関わっています。そんな彼は、「最高の栄光を勝ち取ったジュニア時代から一転してプロ転向後は浮き沈みを経験し、心に色々と思うところはありますが、いつかグランドスラムでベスト8、さらにはベスト4 に入り世界に実力を示すことが夢です」と抱負を語ります。
来る2017 年ユニバーシアードに向けて台北市政府は、選手のトレーニングなど各方面におけるサポートに全力を挙げています。楊選手はこれに感謝の意を表した上で「台北はふるさとです。ふるさとで開かれる大会で必ず良い成績を挙げ、台北に金メダルを残したいと思います」と決意を新たにしています。
 

関連写真

Top