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昔の台北を今に留める: 歴史ある旧市街3選 (TAIPEI Quarterly 2020 秋季号 Vol.21)

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発表日:2020-09-15

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TAIPEI #21 (2020 秋季号)

昔の台北を今に留める: 歴史ある旧市街3選

文 / Kai 編集 / 下山敬之  写真 / Taiwan Scene


芸術の目的は時間を止めることにある - Bob Dylan (ボブ・ディラン)

台北は世界的に見ても活気あふれる大都市の一つであり、多様な歴史や文化を学ぼうとする人たちが多く訪れる街でもあります。一見すると現代的な雰囲気に溢れていますが、実は昔ながらの旧市街が今も到るところに残っています。建物は現代風に改築されていますが、どのエリアも台北の古き良き時代を今に伝えている趣のあるスポットです。

ここでは、時間が止まったかのように現存している台北の旧市街を3つ紹介していきます。日本統治時代、国民政府移転時代、アメリカの戦後政策時代という台湾の大きな分岐点に関係する場所なので、ぜひこれらのスポットで台北の歴史を感じてみてください。


四四南村(スースーナンツン)
観光客も多く訪れる信義区の一角にあり、ここにはいくつかの平屋が軒を連ねています。すぐ近くには台北101や高層ビルが立ち並び、新たに発展したエリアと昔ながらのエリアとのコントラストが歴史の光と影を感じさせてくれる場所です。四四南村8-Edited▲四四南村の中には古民家や眷村だった時の様子が今 でも残っていて、区域全体が1950年代の生活の記録を残す展示スペースとして機能しています。

この地域一帯は1948年から1999年まで中国の青島から来た聯勤第四十四兵工廠という工場勤務の軍人とその家族のための住宅地でした。このような台湾独自のコミュニティは「眷村(軍人とその家族の村)」と呼ばれます。元々は中国南北戦争に敗北し、台湾に撤退した国民党軍の一時的な住居でした。四四南村16-1▲週末になると不定期でマーケットなどのイベントが四四南村の屋外スペースで開催されます。

こうした地域の家屋は造りが脆弱で、月日の経過と共に過疎化や衰退、民族紛争などの問題が発生していきました。そうした背景から、政府は1990年代に地域一帯をマンションに建て替える都市計画に着手します。IMG_9119▲週末になると不定期でマーケットなどのイベントが四四南村の屋外スペースで開催されます。

しかし、台北の文化活動家たちの尽力もあって四四南村は取り壊しを免れ、2003年には台北市がこの一帯を「信義公民会館」として一般公開しました。現在でも展示スペースの制作が行われたり、家屋の原型を生かして軍人たちの生活を再現するといった活動が行われています。他にも独創性のあるレストランや文化を感じられるショップなどがあり、週末になると工芸品のマーケットも開催されているので、伝統を感じながら現代らしい時間を過ごしてみてください。四四南村10-1-Edited​​​​​​​▲多くのクリエイティブな活動をする企業が四四南村の中でアート作品などの商品を販売しています。


青田街 (チンティエンジエ)
青田街は台北の中でも大きな賑わいを見せる大安森林公園の近くある小さな通りで、古い木々や日本風の家屋が建ち並んでいます。

この通りにある建物は、1895年~1945年の日本統治時代に台北帝国大学(現国立台湾大学)の教授や日本人職員の住居として使用されていたもので、終戦以降は教員寮になりました。街道1-Edited​​​​​​​▲青田街は緑の溢れる静かで落ち着きのある通りです。

しかし、時代が流れ、都市の再生や開発が急速に進み始めると日本家屋や通りに並ぶ木々は少しずつ姿を消していきます。中には放棄され、ゴミ捨て場になった場所も少なくなく、この地域は次第に忘れ去られていきました。

幸いだったのは、完全に忘れ去られる前に市民団体が政府と協力して、この歴史的遺産を保存する方向に動き始めたことです。その結果、古い木造家屋はリノベーションによってレストラン、アンティークショップ、ティーハウス、ギャラリーなどの芸術と文化の入り交じる近代的な施設へと変貌を遂げました。中でも「青田七六」は保存状態の良い木造住宅であり、この地域の象徴ともいえる建物です。もともと数多くの教授が暮らしてきたこの住宅は、今では古風なカフェ兼レストランとなり、毎週開催されるガイド付きツアーでその歴史が解説されています。青田七六1青田七六3-Edited​​​​​​​▲青田街には青田七六などの日本統治時代の建物がキレイな状態のまま保存されています。

台北の歴史の中で、人間性が忘れられたことは一度もなく、それは今後も変わることがないので、ぜひ青田街を散策して台北の情緒あふれる歴史に触れてみてください。


民生社区 (ミンションシャーチュー)
松山区内あるこの住宅街には、並木道やアートカフェ、複合ブティックなどがあり、都会の喧騒を忘れてのんびりと過ごすことができます。そんな現代の憩いの場にも忘れかけられた歴史があります。民生社區4​​​​​​​▲民生社區は並木道があり、とても静かな住宅街です。

そこには、日本統治時代の1936年に日本の空軍基地として建設された「松山飛行場(現台北松山空港)」が大きく関係しています。第二次世界大戦中、日本軍によって捕虜にされた連合国軍兵士は最終的に台湾の戦争捕虜収容所に送られましたが、民生社区内にある現民生国 民中学校の一画が、当時の臨時捕虜収容所でした。民生國中(舊戰俘營)2​​​​​​​▲ここは第二次世界大戦中、捕虜収容施設でしたが、現在では民生中学校として生まれ変わりました。

今ではその影もなく魅力的な通りとなっていますが、これは1960年代に台北市が初のアメリカ式コミュニティをモデルとした都市開発を行ったためです。その結果、一帯には数多くの公園や緑地が設置されましたし、空港が近くにある懸念から建築物には高さ制限が設けられました。そのため、民生社区は4階建ての低層住宅が立ち並び、都市部のようなコンクリートジャングルを免れました。

現在、この地域の住宅は台北で最も古く、その多くは外壁がつる草で覆われていますが、内部は現代風にリノベーションされています。それによっておしゃれなカフェができるなど、コミュニティ全体も美しくなりました。付近にある富錦街(フージンジエ)も木々が立ち並ぶおしゃれな通りなので、この地域一帯を散策して居心地の良い場所を見つけましょう。IMG_0125-1​​​​​​​▲民生社区は多くのおしゃれなカフェがオープンしたことで、地域全体がアーティスティックな雰囲気に包まれています。

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