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夢を現実に台北ユニバの影の功労者 (TAIPEI Quarterly 2017 秋季号 Vol.09)

アンカーポイント

発表日:2017-09-14

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夢を現実に台北ユニバの影の功労者

台湾史上最大のスポーツの
祭典を成功に導く

_ 葉思諾  写真 _ 劉咸昌、梁忠賢、江祐任、黄建彬、2017台北ユニバ組織委員会
 

台北ユニバーシアード開幕までのカウントダウンが始まり、聖火が台湾全土を巡回する中、台北市にとどまるスタッフに息をつく暇はありませんでした。台北市政府11階にあるユニバ実行委員会、蘇麗瓊執行長のデスクの前には、開会当日が晴天に恵まれるよう手作りのてるてる坊主が吊るされています。

ユニバ実行委員会・総合行政処副処長を務めた張勝傑氏(元コーフボール台湾代表)が台北市内の体育大学で教師として働いていた5年前のこと、台北市政府から同大会の準備小委員会に召集された際、委員会のオフィスにはメンバーが6人しかいませんでした。張氏は当時のことを「最初は分厚い計画書が1冊あるだけで...」と振り返ります。

その計画書はユニバーシアードの骨組みを記したもので、準備小委員会の仕事はそこに肉を付け、血を通わせることでした。開催を目前に控えるまでの間に、台北小巨蛋(台北アリーナ)南エリアに開設されたオフィスには、300人以上が専任として配属され、デスクは全て埋まっている状態になりました。さらに兼任の市職員を合わせれば、1,000人を超える人材がこの台湾史上最大規模のスポーツ大会を成功させるために努力を重ねてきました。
 TAIPEI 秋季号 2017 Vol.09 夢を現実に台北ユニバの影の功労者
▲トップアスリートが集結し、白熱した試合が展開するユニバは、会場へ足を運んで観戦する価値のある世界レベルの大会。(写真/2017台北ユニバ組織委員会)
 

アスリートの誇りと夢

スポーツに関わる者にとって台北ユニバーシアードは多くの夢が集まる場だと言えます。

ユニバ実行委員会副執行長を務めた鄭芳梵氏(元バレーボール台湾代表監督、現・中華民国バレーボール協会教育技術委員会召集人)は、2016年にユニバ開催に向けた準備にかかわるよう要請された時のことを回想し、「私は元スポーツ選手です。台湾の歴史が始まって以来の大規模な大会をアスリートの一人として黙って見ていることができたでしょうか?」と話します。ちょうどバレーボールチームを帯同して欧州を訪れていた際、市政府から協力要請の電話連絡を受けましたが、その年に仕事をリタイヤする計画だったため、最初は辞退しました。しかし、しばらく考えを巡らせるうちに心の中に燃えるアスリート魂が抑え切れなくなり、リタイヤを延期して要請を受けることに決めました。競技スケジュールの管理や競技場における選手や審判との連絡に関する実務の担当となりました。

「スポーツは最良の外交手段であり、今大会は台湾を世界にアピールする絶好の機会」そう語るのは、ユニバ実行委員会・顧問アドバイザーの紀政氏(元陸上競技選手、1968年メキシコシティ五輪・女子80メートルハードル銅メダリスト)です。自ら主導して主要国際大会で優勝経験のある陸上選手を招集し、ユニバ出場選手にエールを送るというイベントを開催しました。紀氏は「オリンピックに次ぐ重要な大会であるユニバーシアードの開催は、台湾にとって間違いなく歴史的な出来事」と強調します。

もう一人の顧問アドバイザー、陳雨鑫氏も元スポーツ選手です。ユニバーシアードの開催を、台湾のスポーツ界にとって宝物のような存在だと認識しており、「ユニバは台湾にとって競技会開催に必要な人材を育てるというとても貴重な財産を残してくれるのです」と強調しました。事実その通りで、まだ40代と若手の張勝傑・総合行政処副処長は、毎日12時間を超える業務をこなしながらも、ユニバのこととなれば目を輝かせて話を聞かせてくれます。大学院時代、スポーツ大会のマネジメントを専門としていた彼は今回初めて、書物で学んだ理論を実地で、しかも自分のふるさと、台湾で生かすことができたのです。

ただユニバ開催という夢は非常に大きな困難を伴うため、スポーツ界挙げての協力がなければ実現は不可能です。ユニバの準備機関では毎週金曜日の午前中に19の部門を一同に集めて会議を行いましたが、それは小さな市の議会に匹敵する規模となりました。

蘇麗瓊ユニバ実行委員会執行長は「私はスポーツの専門家ではないけれど、行政のことは熟知しており、事務管理についても一日の長があります。実行委員会を率いる上で最も大切なのはオープンな姿勢で専門家を信じること、それに部局間のコミュニケーションと相互協力です」と語ります。台北市政府秘書長の肩書を持つ蘇氏は前途多難の中で執行長の職を引き受けました。しかし、中央政府と地方政府にまたがるユニバ準備小委員会のメンバーは、互いに学び合い、助け合う状況の下、全員がスポーツ界出身というわけではないにもかかわらず、まるで一つの競技チームのような結束が生まれたと彼女は強調します。

また鄭執行長は「最初の会議の時、私はみんなに頭を下げました」と言います。市の職員の多くはスポーツとは無関係にも関わらず、誰もがこの大会のために努力を惜しまない姿に感謝し、感動を覚えたのだそうです。
鄭芳梵氏はスポーツ界に身を置く者としての義務感からユニバ開催を支えました。(写真/江祐任)

▲鄭芳梵氏はスポーツ界に身を置く者としての義務感からユニバ開催を支えました。
(写真/江祐任)


張勝傑氏はユニバ準備小委員会の時期から開催を支えるチームの一員。(写真/梁忠賢)
▲張勝傑氏はユニバ準備小委員会の時期から開催を支えるチームの一員。
(写真/梁忠賢)


蘇麗瓊氏は2017台北ユニバが全ての台湾人にとって栄光の記憶となるよう願い、大会に臨みました。(写真/梁忠賢)
▲蘇麗瓊氏は2017台北ユニバが全ての台湾人にとって栄光の記憶となるよう願い、大会に臨みました。(写真/梁忠賢)
 

勇気を持って
無理難題に挑む

台北ユニバーシアード開催に当たり、台湾の各界およびメディアが最も強い関心を寄せたのは会場の建設についてでした。

「会場の建設のようにハードワークが必要な仕事にごまかしは効かず、期限が来れば結果が白日の下にさらされるもの」と語るユニバ実行委員会の薛春明副執行長は地下鉄、台湾高速鉄路(高鉄)、台北都市交通システム(MRT)・信義線の建設に政府職員として関わるなど、これまで「土木畑」を歩んできました。しかし、そんな薛氏にとっても5つの県市、14の国立・私立大学、教育部、内政部、国防部といった国の省庁が関わるユニバーシアード会場の建設は、来る日も来る日も眉間のしわが取れないほどプレッシャーの大きい仕事となりました。

彼はユニバ会場の建設を担当する場館処の職員に対し、「1カ所でも欠けたり、遅れたりすることは許されない。かつ1カ所の漏れもなくユニバ開催に求められる機能を満たすこと」を目標とするよう指示しましたが、実際にこれを達成するのは困難を極めました。全てのユニバ会場はスポーツアコードが定める最高基準を満たすことが要求されます。例えばサッカー場では、国際サッカー連盟(FIFA)が任意に選んだ25カ所の地点でテスト用のボールを一定の高さから落とし、バウンドの高さが一致するかを調べるなど、6項目の検査に合格して初めて会場としての認証が得られるのです。

また、「華やかな競技の舞台の裏でわれわれは、わずかな問題も起きないよう全力を尽くさなければなりません」と語るユニバ実行委員会・場館処の陳蔚昇副処長によると、国際大学スポーツ連盟(FISU)からも基本事項として各会場の温度や湿度を厳密にコントロールするよう要求さます。飛び込みと水球、競泳ではそれぞれ求められる水温が異なるほか、新体操では競技開始時に標準温度、標準湿度を保つよう厳格に規定されており、体育学部出身の陳副処長でさえ頭を抱えました。

ユニバ実行委員会の薛春明副執行長と会場建設担当チームは当初、現場の足場に上り、工事の進捗状況を視察した結果、特殊な設計や設計の変更に対応できるよう前回大会の韓国・光州ユニバに比べ長い準備期間を設定しました。そして今年511日に各国代表団の団長を集めた会議を開催しました。各国の団長は通常、自国の選手が最高の状態で実力を発揮できるよう厳しい要求を突きつけるものですが、この日、会場の質について異議を唱える声は全く上がりませんでした。会議終了後、薛副執行長はカナダ代表団の団長から1枚のカードを受け取りました。そこには質の高い会場建設工事に対する称賛の言葉が並んでおり、強く心を打たれたそうです。

建設担当チームの努力の下、各会場の工事は今も急ピッチで進められていますが、もう一つ難しい問題がありました。それは新北市林口区の選手村です。

蘇麗瓊執行長は「1万人以上に衣食住を提供しなければならない選手村については非常にプレッシャーを感じます」と率直に胸の内を明かしています。台湾に選手村が開設されたのは初めてのことで、これほど多くの人間が外部から一度に林口区へやって来るのも初めてとなったため、2009年の高雄ワールドゲームズ(五輪で採用されていない競技の国際大会)開催に携わった経験を持つ彼女でさえ、強い焦りを禁じ得ませんでした。

中でも最も神経を使うのが飲食についての問題です。選手用の食堂は3,500席を用意し、ピーク時には毎日35,0004万食を提供する必要があり、1日の営業時間は20時間にも及ぶ見通しとなりました。さらに130カ国以上の国々から参加する選手たちは味の好みも異なり、さまざまな文化の食習慣を考慮しなければなりません。

選手村の飲食サービスに対する責任を担ったユニバ実行委員会・飲食および運動防護処の璩大成処長(台北市立聯合医院副総院長)は、「われわれの任務は台湾最大のレストランのさらに20倍の規模のレストランを6カ月以内に完成させ、スタッフ、厨房設備、食材などを用意し、20日後に解体するという仕事」だと表現します。

璩処長は当初、難しい仕事を前にして頭が混乱し、何から手を付ければばよいか分からない状態だったと語ります。食品や飲料の供給業者選定で困難に直面し、職員とともに飲食業者に対する聞き取り調査を行った際、業界の有力者から「こんな大きな大会はどうしたって文句を言われるに決まっている」と揶揄されたそうです。しかし、それでも調査を通じて台湾全土の食材供給網やレストランから飛行機の機内食まで業界について多くのことを学ぶことができました。その結果、オーストラリアの大手業者に選手村での食事提供サービスを委託。調理用設備については米軍が中東へ出兵した際に飲食任務を請け負った大手厨房設備会社から調達することを決め、問題解決にこぎつけました。

また璩処長はFISUに対し、ある画期的な提案を行いました。彼は「これまでの各国で開催されたユニバでは、選手たちは手作業で食事を注文していた」と指摘。今大会では実行委員会のIT部門が特別に開発したシステムにより、選手たちはインターネットを通じて料理を注文できるようにし、IT王国・台湾の実力を世界に示すことが可能となりました。

璩処長によると、今となっては笑って話せるものの、当時は泣きたくなるほどプレッシャーを感じたそうです。聯合医院で副院長を務める彼は、ユニバ開催に向けて傷害防止チームの一員として2年前から奮闘を続けてきた職員に対しても心苦しさを感じていました。しかし、台湾の名誉のためとの一心で一つ一つ抜かりなく任務をこなしていきました。
TAIPEI 秋季号 2017 Vol.09 夢を現実に台北ユニバの影の功労者

▲採火式を執り行うトリノ工科大学のマルコ・ジリ学長(左)、FISUのオレク・マティツィン会長(中)、柯文哲台北市長(右)。(写真/2017台北ユニバ組織委員会)


薛春明氏は、職員全員の努力がユニバ会場の施工品質に対する各国代表の高い評価につながったと感謝を述べました。(写真/黄建彬)
▲薛春明氏は、職員全員の努力がユニバ会場の施工品質に対する各国代表の高い評価につながったと感謝を述べました。(写真/黄建彬)

璩大成氏は、選手たちに供される食事の管理を指揮するという重責を担いました。(写真/梁忠賢)

▲璩大成氏は、選手たちに供される食事の管理を指揮するという重責を担いました。
(写真/梁忠賢)


陳雨鑫氏はユニバ開催が台湾のスポーツ界にとって得がたい財産となると考えています。(写真/梁忠賢)
▲陳雨鑫氏はユニバ開催が台湾のスポーツ界にとって得がたい財産となると考えています。(写真/梁忠賢)
 

台湾を世界の舞台へ

「そんなに苦労してまでなぜやるのか?世界に台湾のことを知ってもらうためさ!」スポーツ好きでもある璩大成処長は、台北ユニバの開催で世界各国の若い選手たちに台湾のことをより深く理解してもらえるようになったと信じています。

かつて数々の国際大会に選手として参加した経験を持つ、ユニバ実行委員会・総合行政処の張勝傑副処長は日本の大会でボランティア女性から受けた温かく、細やかな応対に感動を覚えたほか、ドイツの大会では11秒の狂いもない送迎車の運行サービスに敬服したといいます。

こういった台湾の力を世界に示す任務の成否は、広報活動を担当する游適銘ユニバ実行委員会副執行長の手腕に委ねられました。台湾は外交関係を持つ国が少ないという苦況の中、彼は過去1年間で5カ国を訪れてユニバの広報活動を展開しました。慌ただしいスケジュールの中、欧州で2度も荷物がなくなるなど、思いがけないトラブルにも見舞われましたが、問題を克服するたびに成長を感じたそうです。

積極的な広報活動により、台北ユニバのマスコットキャラクター「熊讃ブラボー」の知名度が高まり、広報担当チームはそこから活動方針を「量より質」に転じました。そして今年、ユニバ実行委員会が立ち上げた「ブランドチーム」を通じ、様々なスポーツの競技場面と台北市の風景を組み合わせたプロモーションビデオ『Taipei In Motion』を発表し、話題を呼びました。

ただ、游副執行長も認めるように、経験から多くを学んだとはいえ、批判をまったく受けずに済むということはあり得ません。例えば、新たに建設した和平バスケットボール場を市議会議員やバスケットボール代表選手が視察した際、選手が予定になかったダンクシュートを試みると、また固定していなかった移動式ゴールが傾いて倒れかけるという事態が発生。これをメディアが大々的に報道したため、現場の士気は大きく低下しました。そんな時、游副執行長は「メディアが大げさに書き立てることは避けがたい。われわれには説明を尽くして事情を明らかにすることしかできないと皆を励ました」と言います。
飛び込みと水球、競泳ではそれぞれ異なる水温設定が要求されるなど、ハード・ソフトの両面で国際基準に合わせた厳格な管理が必須に。(写真/2017台北ユニバ組織委員会)

▲飛び込みと水球、競泳ではそれぞれ異なる水温設定が要求されるなど、ハード・ソフトの両面で国際基準に合わせた厳格な管理が必須に。(写真/2017台北ユニバ組織委員会)

游適銘氏は台北ユニバの広報活動のため世界を巡り、各国で売り込みを行いました。(写真/劉咸昌)

▲游適銘氏は台北ユニバの広報活動のため世界を巡り、各国で売り込みを行いました。
(写真/劉咸昌)

陳蔚昇氏は若い仲間とともに会場の建設に奮闘しました。(写真/黄建彬)
▲陳蔚昇氏は若い仲間とともに会場の建設に奮闘しました。(写真/黄建彬)

紀政氏は国民に対し、チケットを買って会場に駆けつけ、選手たちにエールを送ろうと呼びかけました。(写真/江祐任)

▲紀政氏は国民に対し、チケットを買って会場に駆けつけ、選手たちにエールを送ろうと呼びかけました。(写真/江祐任)


 

ぶつかりながら成長

台北ユニバーシアード開催に向けた準備を進める過程で、市長の交代や現場の担当者の入れ替わりなど曲折あり、仲間同士でぶつかることもありましたが、最終的にはいつも、ともに成長を遂げました。

張勝傑総合行政処副処長によると、競泳のテストレースを実施した際、情報システムそばに設置された機械設備が中継カメラの邪魔になるという問題が発覚しましたが、その日の午後いっぱいを費やして問題を片付けたそうです。

また陳蔚昇場館処副処長も、こういった問題は非常に多かったものの、各部署の言い分を聞いてみると、皆、自分が担当する任務で最高の仕事をしたいと考えていることが分かり、話し合いを通じて最大公約数を引き出すしかなかったと指摘します。外から見える決定事項の一つ一つは、多くの衝突やすり合わせを経た結果なのです。

このほか当然、世代間の考え方の違いによる衝突も発生します。ユニバ準備小委員会のメンバーの中にはスポーツへの情熱に満ちた若手が数多く含まれます。こういった若者は行動力やひたむきさを備えるものの、お役所的なやり方に不慣れな側面を持ちます。そんな時、「青年代表」の陳蔚昇場館処副処長や張勝傑総合行政処副処長が「指導官」や「教師」の役割を果たしました。

陳副処長は、十分にコミュニケーションを取れば、上層部が若者の提案した意見を評価したり、さらには若者に仕事を任せることに同意するようになと考えます。薛春明ユニバ実行委員会副執行長は、場館処の会議の際いつも、若手メンバーに、彼ら自身に、そしてチーム全体に拍手を送り、ユニバに両手で「いいね!」をしようと呼び掛けました。これについて薛副執行長は「みんな創意にあふれ、情熱があり、すぐに一致団結する。チームワークを高めることにデメリットはなく、メリットしかない」と答えます。

こうしたすべてを紀政顧問アドバイザーはその目で見守ります。紀氏は当初、心配のあまり柯文哲市長に携帯電話でメッセージを送り、ユニバを成功させられるかどうか、これが台湾に及ぼす影響はとても大きいと注意を喚起しました。しかしそんな彼女も今では「市長がこの盛大なイベントの準備にこれほど心血を注ぐ姿を目にし、とてもうれしく思う」と語っています。

もう一人の顧問アドバイザー、陳雨鑫氏も毎週金曜日の処長会議で準備小委員会の成長を目の当たりにし、「チームとして徐々に形になってきた」と語り、にわか仕立ての組織から高い実践能力を備えた部隊とへと成長したことに目を細めます。

こうした多くの縁の下の力持ちたちが、この国最大規模のスポーツ競技会を開催できることを自らの誇りとして労を惜しまず、力を尽くし、数々の困難を克服することではじめて台北ユニバーシアードは成功を収めることができたのです。
世界の大学スポーツ界のエリートが参加するユニバーシアードでは見応えある試合が繰り広げられました。(写真/2017台北ユニバ組織委員会)
▲世界の大学スポーツ界のエリートが参加するユニバーシアードでは見応えある試合が繰り広げられました。(写真/
2017台北ユニバ組織委員会)

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